まだ少し肌寒い早朝
今日は朝練もなくいつもよりもゆっくりと身支度を整える
とは言っても、顔を洗って歯を磨いて、軽く髪をブラシで梳かし髪をアップにするだけの事
化粧をする事も髪で遊ぶ事もしないは、コトッとブラシを置いてリビングへと戻る
「は今日も遅くなるのかな?」
「んー、仕事の進み具合かな。新しいタオルも一通りは洗い終わったし、そんなに遅くはならないと思うよ」
今日はネクタイしてくんだ?
そう言って首に掛けただけのネクタイにスッと手を伸ばし、は慣れた手付きでネクタイを結んでいく
「ありがとう」
「どういたしまして。お父さんは?」
「早く帰って来たい所なんだけどね、今日は戻れるかわからないんだ」
「そうなの?」
少し大阪の方に出向かなければならないと、行きたくないと言わんばかりの顔で溜め息を零す
スーツをきっりち着込んでいる理由がわかったは仕方ないと苦笑い
そろそろ時間だと時計に目を向ければ、タイミングよくインターホンが鳴る
『・・・はよ、ございまーす・・・』
切原の少し眠たげな声を聞きながら、は鞄を手にする
モニターの前に立つ父親にふわりと抱き付いて、いってきます、と声を掛ければ暖かいキスが振る
「赤也君?おはよう」
『あ、お父さん。おはようっス』
「今が下に向かったから、気を付けてね」
『っス!』
後ろからの声が聞こえ父親の口元も微かに綻ぶ
可愛い娘の結んでくれたネクタイをそっと掴み、軽くキスをしてから自分も出社の為にモニターから離れた
朝練がある日はどうしたっての方が家を出るのが早い
だからと言って朝練のない日に一緒に行く約束をしたわけではない
切原も元々気分屋な部分もあり、時々こうして気が向くと家のインターホンを押していた
「・・・ふ、わぁ〜・・・っん」
「眠そうだね?」
「昨日、遅くまでゲームやってて、めちゃくちゃ眠いっス・・・」
「あれだけハードな運動して夜更かしなんて元気だよね」
「そうっスか?でも、その後に遊びに行ける丸井先輩の方が俺は元気だと思うけど」
あぁそれは確かに、そう言っては小さく笑う
その笑みに切原はどこか満足げに欠伸を噛み殺し、んんっと身体を伸ばした
姉のと比べれば愛想がない
確かにそれは否定出来ないが、距離が近くなればそんな事はないと、気付いたのはごく最近
「先輩、来月の合同合宿の話し聞きました?」
「あー、聞いたよ。なんかえらい学校と合同合宿するみたいだね」
「え?相手の学校、もう決まってるんスか?」
「え?・・・あっ、うーん、まだ決まってないのかな?」
アハハ、どうなんだろうね
まだ秘密だったのかとは笑って誤魔化すが、切原はジトーッとを横目で見つめる
無理にでも聞き出したい所
けれどまだ自分達に回ってこないという事は、頂点に立つ部長である幸村が口止めしてると言う事
無理に聞き出せば原因不明の何かに侵されるだろう未来を思い描き、ピシッと頬が引きつる
「そ、それより先輩!」
「へ?な、なに?」
思いのほか大きな声に小さく目を瞬かせる
どした?と聞き返せば、切原はんー、と考え込んだかと思えばズイッと顔を近づけた
「ん?」
横から鼻が触れそうなほど首筋に顔を近づけたまま、視線だけを横に流す
「・・・普通ここって、顔赤くするとこじゃないっスか?」
「あぁ、だって切原だし?」
「うっわ、それ地味にひでぇ!」
わざと大袈裟に傷付いたフリ
それにはケタケタと笑って人で賑わう改札を抜ける
時間に間に合うピッタリの電車よりも一本早い為、ほんの少しだけ人が少ないホーム
タタッと駆け寄ってきた切原がサッとの鞄を掠め取る
「あ、切原」
「いくら一本後より人が少ないって言っても、危ないっスよ」
「あはは、ありがと。なんていうか、切原って天然で女の子オトしそうだよね」
「へ?」
なんでもない、そう言って空いた手をポケットに入れる
「これ、甘い匂いする」
「ん?あー、丸井がね、マフィン食べたいって駄々こねるから」
「あの人、最近変っスよね」
「あいつが変なのは元からじゃない?」
「いやいや、なんつーか・・・何か、変っスよ」
数日前の、まるで縄張りを荒らす敵に向かって威嚇するような丸井を思い出し
その理由がもしかして、と思った切原は曖昧に誤魔化した
その理由が真実ならば丸井が姉のには見向きもしなかった事も納得出来る
「・・・うーん、引っ越したい」
「え?」
「毎日満員電車って、慣れるけど、いつまで経っても嫌なものじゃん?」
ホームに滑り込んだ電車を見てうんざりしたように愚痴を零す
確かに、と切原も人が溢れる電車にうげぇっと本音を零した
「でもま、俺達の駅は降りる人の方が多いし、まだマシっスよ!」
励まされるようにそっと背中に添えられた切原の腕
ドアが開きドッと人の群れが外へ押し流される中で、切原は慣れたようにスイスイと奥のドアまで進んでいく
本来は人が降りてから乗るものだが切原には常識を守る事よりも、出やすい位置を確保する事の方が大切らしい
「降りる駅までこっちのドアが開かないってのも、他の奴等に比べたらマシだと俺は思うっスけどね。っと、大丈夫っスか?」
「あー、この瞬間がなんて言うかこう、胸キュンも何もないよね」
「はい?」
何を急にと切原が笑いながら聞き返す
押し込められる、とまではこの一本前の電車ではそうそうないが人の波は頭で考えるよりも激しいのだ
「漫画とかドラマでさ、こう、今の切原みたいに守ってくれて胸キュンするじゃん?」
「あぁ、そんな展開もありますね」
「だけど実際胸キュンしてる余裕がないのはあたしだけ?」
片腕の肘から下をドアに突っ張って、右腕はの腰を支え押しつぶされないように守る切原を見上げ
ドキドキよりも早く着いてと願うあたしは女捨ててる?と苦笑いを浮かべる
確かにこれがファンならば顔を赤くして俯く所がだ、らしいと切原は首を横に振った
「真夏になったらもっと最悪っスけどね」
「ぎゃ!言うな切原、それは言っちゃいけない」
「ぷ、っはは!言うなっつっても、あっという間に夏っスよ?」
「夏になったらお父さんに車出してもらおうかな」
「先輩のお父さんなら喜んで出してくれそう・・・」
子供をバラバラに愛している
そんな複雑のようでわかりやすい家庭を少しだけ垣間見た切原はヒラヒラと揺れる広告を見上げ呟く
変わってると思った
だけどそれは、ストレートにお互いを愛した結果なのかもしれないと、ほんの少しだけ理解できるような気がする
「・・・俺も好きな奴にそっくりな娘と、自分にそっくりな娘だったら、やっぱり好きな奴にそっくりな娘の方が可愛がるかも」
「そういうもんなのかね?」
「似てる具合っスね。先輩達みたいにそっくりだったら、俺も考えちゃうっスよ」
そう言うものかもしれない
確かに似てる具合にもよるが、自分の好きな、将来の伴侶と選んだ相手にそっくりならば仕方ない
何だか妙に納得した頃、やっと電車は目的のホームへとゆっくり速度を落としていった
(満員電車はまかせなさい)
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