10年前、両親を殺され一時的に俺の家に預けられた人間の子供
俺の家と言ってもいくつかある別荘の内のひとつに、ほぼ行動を共にしていた従兄弟抜きでと急遽呼び出された
そしてソファーにちょこんと座っていたちんまりした姿
――― 今日から少しの間だけお前の妹になるからな、仲良くしてあげなさい
父親にそう言われて意味がわからないまま、小さな人間の子供は俺を見上げてにっこり笑った
4文字の名前を言えずに真ん中の2文字を抜くという子供特有の呼び方で呼ばれ、人見知りなんてどこ吹く風で俺に懐いてきた小さな子供
――― あきちゃん!あきちゃん!
少し目を離せば何をしでかすかわからない
両親を殺されたと言うのに、影が落ちるどころか暗い事実が嘘のように笑顔が絶えなかった
ただ、それは昼間の顔であって夜になると必ず豹変したように泣き出した
――― ・・・交わした約束を今でも覚えてるのは、俺だけなんだろうな
「!早く行かないと騒ぎが大きくなっちゃうよ!」
「・・・優姫、あたしはあくまで裏方であって表に出る気は無いよ?」
「え?そ、そうなの!?」
「そう言う事だ。優姫、行くぞ」
ひらひらと手を振れば、不満そうな顔をして優姫は既に騒ぎになりつつある門の前へと走って行った
先日引き受けた風紀委員
だけど、優姫達と違ってあたしは表には出ない
その理由は簡単で、あの嫉妬の目を向けられるのは心の底から遠慮したいからだ
「・・・さて、あたしはちょこっと挨拶に行ってこようかな」
入れ替えまで後30分
見上げた月の寮とのこちら側を隔てる高い塀を、少し助走を付けて手をかけ一気に乗越えた
あれから会ってない千里にも会いたいし、何よりも暁の携帯番号を聞くのを忘れた
腕につけた腕章は少しくすぐったい
ギギィィ・・・ ――― ゴィンッ!!
「・・・デ、デジャヴ?」
ギギィィと音を立てて開いた扉が途中で不自然に止まったと同時に、冷や汗がタラリと落ちるような鈍い音
"何だか前にもこんな事があったような・・・″と少し開いたドアの隙間からそっと中を覗けば、やっぱりそこには頭を抱え込んで座り込む人影
「・・・っ何するんだ!痛いじゃないか!!」
「うぎゃ!!す、すみません!!」
耳を塞ぎたくなるような怒鳴り声にビクッと肩が揺れる
あの時とは違って、もの凄い勢いで立ち上がったその人は目に涙を浮かべてキッとあたしを見下ろした
この反応が本来は普通なんだと思いつつも頭を下げてすみませんでしたと口にする
「だいたい、ここへは立ち入り禁止の・・・・お前、この間支葵が連れて帰ってきたデイ・クラスの・・・?」
「へ?あ、あぁ・・・はい、そうですけど・・・」
「・・・へぇ、血の匂いだけじゃなくて近くで見ると結構可愛いじゃん」
「・・・は?」
赤くなったおでこを擦りながらズイッと顔を近づけてくる見知らぬ人
何だか物騒な事を言われた気がするけど、近い顔を引き離すようにその人の肩を押し返した
むっと不満気に離れるその人に、不満なのはコッチですとは口にせずひょいっと後ろを覘いた
「支葵ならまだ来てないけど?何々、支葵に会いに来たの?」
「・・・あなたには関係ないでしょ。っていうか、いちいち近いんですけど!」
「だってイイ匂いするんだから仕方ないよ。その左腕かな?」
「・・・校内での吸血行為は禁止ですよ・・・・・・あー・・・先輩」
名前が出てこなくて視線が彷徨った
これは風紀委員としてまずいかなぁと思いつつ、顔を顰めた先輩を見上げる
「・・・もしかして君、ボクの名前知らない?」
「・・・」
「嘘だろ!?アイドル先輩、だなんて言って女の子達に騒がれてるボクを知らないの!?」
「それって自意識過剰っていうか、ある意味ウザイ驚き方ですよね」
「・・・う、ざい・・・?ボクが、うざい・・・?君、それ・・・本気で言ってるの・・・・?」
アイドル先輩って呼ばれてる事を喜ぶ時点で少しおかしいと思うのはあたしだけじゃない筈
何だか唖然としたように質問に半ば呆れて頷けば、まるでムンクの叫びのように両手で頬を押さえてズルズルと座り込んでしまった
「・・・なに、この人・・・」
夜間部の生徒は変わった人が多いのかも知れないと、引き攣った頬はどうにも出来ない
誰か他の人は居ないのかとロビーを見渡すけれど誰も居ない
携帯を開けば入れ替えまで後15分
どうしようかと携帯を閉じた時、カタンと音がして見上げれば見慣れた明るいオレンジ色の髪がふわりと揺れた
「・・・、お前何してんだ?」
「暁!」
階段を下りてきた暁に駆け寄って、腕に巻いた腕章を見せれば驚いたように、そして呆れたように溜め息ひとつ
"行動、早すぎ″と頭に乗せられた手に階段を下りた暁を見上げた
「あそこに座り込んでるのは英、か?」
「英?・・・あぁ、あの先輩の名前」
「一応俺の従兄弟だ」
「暁の?ふぅん、何か変な人だよね。あの人」
座り込んだままの英先輩に近づいて立ち上がらせる暁の姿
ショックを受けるような事を言った覚えは無いんだけど、と何やら復活したらしい英先輩がドシドシと歩いてくるもんだから思わず後退る
「君、暁の何?支葵と付き合ってるんじゃないの?」
「・・・え、まさか英先輩って暁の事好き・・・・・っいだ!!!」
「そんな訳ないだろ!!ボクの名前さえしらない君が、どうして支葵や暁を知ってるのかって聞いてるの!」
「ちょっ、英先輩近い近い!!ぎゃーっ!暁!!」
「はぁ・・・英、お前近すぎ。ちょっと離れろよ」
「ぐえっ!・・・な、何するんだ暁!」
暁に首根っこを掴まれ引き離された英先輩は自分よりも高い暁を見上げキッと睨み付けた
だけど首根っこを掴まれたままゴホゴホと咽る姿は何とも情けない・・・
「とは昔会った事があるんだよ。お前が考えてるような泥沼じゃないって事だ」
「昔?じゃあボクも会った事があるのか?」
「いや、英は会った事ない。あの時は俺しかいなかったからな」
「・・・へぇ、久し振りの再会って事?」
「あ、おい英!」
暁の手から逃れた英先輩がまたドシドシとこっちへ来るから、思わずあたしはくるっと向きを変えて逃げた
ロビーを逃げ回るあたしを暁は助けるどころか呆れたように知らぬ顔でソファーに座ってる
「ボクから逃げるって?逃がさないよ!」
「ちょっ、英先輩顔が変態ちっく!!」
「はぁ!?ボクに向って変態とは失礼な!!あ、こら待て!!・・・チッ、さすがちっこいだけあってすばしっこいな」
何だか凄く気に触る事を言われた気がする
ぐすぐるとソファーの周りを回ってクラッと目が回りそうになった頃、あたしはソファーから離れて階段の方へと逃げた
どんっ
「っいだ!!」
「・・・っ!!」
「・・・あーあ、俺は知らないからな」
何かに、いや誰かに体当たりをかまして後ろへと転がったあたしの身体
仰向けのまま見上げれば英先輩が引き攣った顔で "いや・・・あ、あの・・・これは・・・!″と何かに怯えてる
暁の何とも他人事の様な言葉に "いったいなぁ・・・″と後頭部を擦りながら身体を起こす
スッと差し出された綺麗な手を何も考えずに優しさだと思って掴んだ
「大丈夫?」
「あ、どーもすみませ・・・っ玖蘭先輩!」
「随分と賑やかだね」
「・・・っすみませんでした、枢様」
まるで怒られた犬のようにしゅんっとする英先輩
そう言えば夜会の時にこの人が玖蘭先輩の事を "純血の吸血鬼″だと言ってたけど、それはかなり特別なものなのかも知れない
どこか他の吸血鬼とは違う空気を持つ玖蘭先輩ならそれも頷ける
「、藍堂が迷惑をかけたね」
「・・・藍堂?」
「君を追い掛け回していたのが、藍堂だよ。・・・は、風紀委員になったと言うのに相変わらずナイト・クラスの生徒の名前を覚えていないんだね」
「あー・・・これから、覚えるつもりですけど・・・別に覚える必要もないかな、っと」
さっきまでとは随分と大人しい英先輩を不思議に思いながらも、次々とロビーに集る夜間部の皆さん
何となく居心地が悪くて、いつの間にか壁を背にして立つ暁の元へと向った
「・・・何か、一生分の目の保養って感じ」
「瑠佳には近づくなよ。あいつは、玖蘭寮長の事になると目の色変えるからな」
「瑠佳?・・・あの、軽く髪巻いてる綺麗な人?」
「あぁ。一応、俺と英、瑠佳の3人は幼馴染なんだよ」
「・・・ふぅん」
暁の横に立って、随分と上にある顔を見上げる
零よりも高い身長は少し首が痛くなる
「で?月の寮まで何しに来たんだ?」
「あ、うん・・・。玖蘭先輩に一応、風紀委員になりましたって言いに来たんだけど・・・何故か知ってたよね、玖蘭先輩」
「あの人の情報網は目を見張るものがあるからな。黒主優姫の事なんて、あの人にとってはテストの点まで知ってるんじゃないか?」
「・・・それってある意味ストーカーじゃん?」
「そこまで玖蘭寮長が黒主優姫に執着する理由は俺にもわからないんだよ。・・・それより、お前すげぇ注目されてるけど・・・」
「気付かないふりしてたのに言うなばか!」
たくさんの目があたしを見てる事なんて気付いてたけど、何だか良い雰囲気でもないから気付かないフリをしてた
その中には玖蘭先輩のあたしと暁を見る視線も含まれていて、あたしはそこでやっとハッとして暁を見上げた
あたしの視線に気付いた暁が "どうした?″と首を傾げる
「・・・ごめん」
「は?何が "ごめん″なんだ?」
「いやほら、普通に考えて普通科のあたしと暁が仲よさげなのっておかしくない?おまけにあたし、暁の事呼び捨てにしてるし・・・」
「あぁ、そんな事か」
"そんな事とは何さ!″と文句を言おうと思ったけど、急に暗くなった視界に出かかった言葉は喉の奥へと消えた
何だか空気がピキッと凍ったのは気のせいだと思いたい
「俺はもう、ただ遠くから幸せを願うだけじゃないって事だ」
「・・・は?って、暁・・・っ視線が痛い!」
「見たい奴には見せればいいだろ?」
「そ、そういう問題じゃ・・・!」
ジタバタと暴れてみるけれど所詮男の力に敵うわけが無い
ガッチリと抱き締められたまま、せめての救いは耳元で囁かれない事だけ
「、無茶だけはするなよ・・・」
「・・・っう、うん」
低く紡がれた言葉は、周りの人には何でもない言葉に聞えたかも知れない
だけどあたしにとっては凄く重い言葉だった
「やあみんな!おまた、せ・・・ ――――― ・・・え?」
やけにテンションの高い声
すぐにそれが一条先輩だと気付いて、もしかしたら千里も一緒かもしれないと顔を向けようとした
「・・・っ暁?」
グッと自分に押し付けるようにしてあたしを抱き締める暁に抗議の声を上げる
ジタバタと暴れて見てもギュッと抱き締められた腕から出る事は出来ない
「ちょっと、暁?」
「・・・そんなに支葵に会いたいか?」
「会いたいか?って・・・暁が、千里にも伝えてやれって言ったんじゃん」
「あぁ、そんな事も言ったな。じゃあ今ここで取り消す」
「はぁ?ちょっ、暁!?」
ひょいっとあたしの体重なんて何のその、勝手に人を抱き上げたかと思えば器用に寮のドアを開けて外へ出た
意味がわからないまま落ちないように暁の首に腕を回して
月の寮のドアが閉まる瞬間、ちらっと見えた千里の顔が ――――― ・・・どこか、泣きそうだった