どうしてだろう
あの時も、今も、不思議と "恐怖″は感じなかった
この時のあたしはまだ正体を知らなかったからなのかもしれないけど、あたしには "恐怖″よりも "悲しみ″の方が強かった
手に握っていた携帯が遠くへ飛ばされた瞬間、目の前を "紅い何か″が通り過ぎた
――― 千里の鋭く怒りに満ちた顔を見たのは、それが初めてだった
「、大丈夫?・・・っそれ、あいつに・・・?」
「え?あ、うん・・・っていうか、避けた時にそこのガラスでスパッと・・・。でも、大丈夫だよ・・・」
「・・・我慢、して」
「うん?」
左腕に何か呪いでもかかっているのか、スパッと切れた傷口から流れる紅い血
千里はポケットから出したハンカチをギュッと痛い程に巻き付けてくれた
お礼を言って支えられるようにして立ち上がる
「・・・なんで、こんなにいるの・・・」
ぽつりと聞えた声に "なにが?″と顔を上げたあたしの視界に、ゆらりと気持ちの悪いソレが現れた
サッと千里に左腕で腰をぐいっと抱き寄せられた
目の前で起こってる事についていけない
あたし達を狙ってる事はわかる、それは目の前のソレの狂気に満ちた目を見れはわかるけど
「千里・・・?」
「・・・大丈夫、オレが守るから」
見上げた千里は真っ直ぐに目の前のソレを見つめ、何をするのかと思えば自分の右手の人差し指を咬んだ
驚いて名前を叫ぶあたしを無視して、千里は右腕を前に翳した
何が起こってるのか顔を動かそうとしたらぐいっと千里の肩に顔を押さえつけられてしまう
ヒュンッ
何かが風を切る音がして、すぐに軽く何かが弾けるような音の後にさらさらと砂が落ちるような音
効果音だけじゃ何が起こってるのか想像も出来ない
「・・・、走れる?」
「へ?」
「こいつらの狙い、だから」
「・・・は?」
不特定多数の人間に恨まれる覚えはないと講義しようとした瞬間、何だかデジャヴを感じる衝撃が走った
抱き締められたまま吹き飛ばされたあたし達は問答無用で裏路地の中へと転がった
「支葵!?」
「え?・・・っ!?」
「・・・っ余所見すんな優姫!!」
「・・・い・・っ、つ!!」
もう本気で何が起こってるのか、どうしてあたしが狙われるのか、ただでさえ混乱していたのに
聞えた声にあたしは更に頭がパンクしそうになった
「、ごめん」
「・・・っ千里が謝る事ないよ!・・・っいだ!」
千里に腕を引っ張ってもらい立ち上がる
驚いた顔であたしを見る優姫と、変な銀色の棒を振り回す零
どこかで見た事のある金髪の男の人
「・・・一条さん、どういう事?」
「それは僕も聞きたいよ。・・・兎に角、今は彼女達を守る事だけ考えよう」
「別に、オレはが無事なら、それでいいけど」
「・・・支葵」
「・・・はーい」
交わされる会話の1割も理解出来ないこの状況
恐怖よりも混乱の方が勝ってるだけまだマシなのかも知れないと、駆け寄ってきた優姫の身体が震えているのを見てそう思った
「、大丈夫!?」
「・・・あたしは、平気だけど・・・」
「・・・っご、めん・・・」
「今はその話、やめよう」
落ち着け、と何度も頭の中で繰返す
壁を背にして人間とは思えない運動神経で飛び回るソレの数を数えれば、たった今零が消したソレを抜かして4つ
「優姫!!」
「・・・っ!」
お互いに名前を叫ばれハッとした
あたしよりも小さな優姫の身体をぎゅっと抱き締めて、そのまま背にしていた壁を思いっきり蹴り飛ばして冷たいコンクリートに転がる
腕の中で小さく優姫が呻いたけれど気にしてる余裕はなかった
抱き締めた状態から軽く突き飛ばして、転がっていた鉄パイプをグッと握る
ガ、キンッ ――― !!
「・・・っ!!」
「・・・いっつ・・・っ!・・・ゆ、うき・・・っに、げて・・・!」
仰向けになった状態から見上げる、爪の尖ったその手は見覚えがあった
あの日の夜、廃墟で襲ってきた男に似てる
思い出したくもない痛い苦い体験は、ギリギリと押さえつけられる力に負けないように押し返す事しか出来なかった
「・・・っ・・・運動神経抜群の、あたしを・・・っなめん、なよ・・・っ!!」
ググッと押し返す事が出来ない力ならば抗うだけ無駄だと、右足で踏ん張ったまま左足を大きく上に振り上げた
ドコッと感触が足に伝わった瞬間押し戻していた力をふっと抜きそのまま横へと転がる
ほんの少し掠った爪が首筋に紅い線を描いた
「!!」
「来るな優姫!!・・・っ零!!」
こっちに駆け寄ろうとする優姫を止める為に零の名前を叫ぶ
すぐに零が止めてくれたのだろう "離してっ!!が!!″と叫ぶ優姫の声が聞えた
どうして、こんな事になってるんだろう
関わらないと決めたのに、なんであたしは元凶でもある夜間部と優姫達と意味不明なソレと一戦交えてるんだろう
あの夜だって目の前のソレと同じだと言う事と、あの夜にあたしが後をつけたのは間違いなく千里
結局あの時左腕を骨折したのだって、今また左腕をスパッといっちゃったのだって全部巻き込まれたからじゃん
なのになんで助けてるんだろう
「――――― ・・・っあぁもう!!ムカつくんだよ!!・・・痛いんだっての!!」
振り下ろした鉄パイプを軽々受け止められるどころか、ニィっと気持ちの悪い笑みを浮かべながらしっかりと握られた
それにすら腹が立って、そのままビクともしない鉄パイプを支えにして思いっきり回し蹴りをかました
「ぐぁはっ・・・!!」
足が痛い
千里が巻いてくれたハンカチに血が滲む
流れる涙で視界が歪むし鼻水は出るし、何だか頭がクラクラするし、折角少しすっきりした気持ちが急降下
「・・・はぁっ・・・・はぁっ、・・・・っつ・・・いったいなぁ・・・もう・・・っ」
「」
「・・・い、ったいってば!!」
「・・・ごめん、」
カラン、と手から滑り落ちた鉄パイプの音が静かになった裏路地に響いた
ふわりと千里に抱き締められて全身の力が抜けた
「・・・移動しよう。少し騒ぎになりすぎてる」
「俺達は勝手に帰らせてもらう。・・・優姫、、帰るぞ」
零の威嚇するように鋭い声がしたけれど、あたしは千里に抱き締められたまま動かなかった
いや、動けなかった
「は、オレが連れて帰るから、あんたは帰ったら?」
「・・・っあんたには関係ないだろ!」
「支葵、錐生くんを挑発しないの。・・・ちゃんも傷負ってるし、僕達は先に戻ろう」
意識が遠ざかる
何だか零が怒ってるような気がするけど、怒りたいのはあたしだよ?
あぁ、左腕治ったばっかりなのに・・・
「――――― ・・・傷つけた癖に、そうやって傍に置いて、何がしたい?」
大人しくボーッとしている事の多い千里が
まさか、優姫と零に一条さんすら驚くような冷たい目を向けただなんて、意識が完全にブラックアウトしたあたしには気付けなかった