全てを投げして君の手を取る事が出来たのなら、それは僕にとって最高の幸せになる
けれど今の僕は君にとって不安にさせるだけの存在なのかも知れない
全てを知っていながら、ただ "何も心配はいらないよ″と口にする事しか出来ない
笑っていて欲しいと願う
君は、僕にとってこの世界でたった1人の大切な娘なのだから






軽い朝食を取った後、ホテルの向かえ側にある花屋で百合の花を数本買った
白い百合は綺麗だけど正直言えばこの独特の匂いがあまり好きじゃない
花を受け取った瞬間ふわりと香った匂いに少し顔を顰めれば、隣に居た千里も好きじゃないのかふいっと顔を背けた

自然の匂いってこんな匂いを言うのかもしれないと自然と頬が緩んだ
曖昧な記憶ではハッキリと思い出せるわけじゃないけど、頭の奥で懐かしさを感じる
ふと後ろが気になって振り返れば、俯いてふらふらと歩く千里にあたしは溜め息を零した



「千里、ホントに大丈夫?・・・顔色悪いよ、っていうか、うん・・・」
「・・・別に、眠いだけだからいいよ」



ホテルから出て30分程、もう少しで着くだろうけど千里の顔色は悪い
何度かホテルに戻ろうと言ったのに頑として首を縦に振らなかった
ナイト・クラスはあたし達と生活習慣が違うから仕方ないのかも知れない
普段は眠っている時間だろうこの時間に、こうして外に出る事は仕事以外じゃないだろうし



「・・・千里、手つなごう?」
「手?」
「手を繋いでれば、ふらっと倒れてもすぐにわかるでしょ?」
「・・・」



ぼんやりと今にも倒れそうな千里には申し訳ないけど、もう引き返す気は無い
やっぱり何度か迷ったけれどもうすぐ見えてくる
ひんやりとした千里の手を握って、帽子をグッと深くかぶらせてまた歩きだす



「ねぇ」
「うん?」
「あそこに、用があるの?」
「うん、そうだよ」
「廃墟じゃん」
「・・・今は、ね」



林道から少し脇道に入ればすぐに見えてきた懐かしい、今はもう廃墟だなんて呼ばれてしまう建物
綺麗だった筈のペンキも剥げて、窓のガラスは役目を果たしていない
そりゃ10年も放って置かれたらボロボロになって当たり前だと口元に笑みを零す


「・・・何か、変な感じだなぁ」
「なにが?」
「この場所に来るのは10年ぶり。それも何だか変な感じなのに、隣に千里がいるって言うのも、凄い変な感じ」
「ふーん」



手を引かれて一歩前に踏み出す
10年前と言えばあたしはまだ6歳の誕生日を迎える前で、ハッキリと覚えてるわけじゃないけど確かに覚えてる
大きくも無い、だけど小さくも無い、あたしが5歳になるまで育った家



「オレ、ここに居た方がいい?」
「え?」
「よくわかんないけど、にとって、大切な場所なんじゃないの?」
「・・・」



玄関のドアを前に、千里はそう言って立ち止まった
本当は1人で来るつもりだった
やっと、あの時交わした約束が時効になったのだから



「・・・いいよ、オレ、その辺にいるから」
「・・・うん」
「何かあったら、呼んで。すぐ、行くから」
「・・・ありがと」



歳下のように感じていた千里にくしゃっと頭を撫でられたのには驚いた
近くの木の下に座り込んだ千里を横目で見ながら、ゆっくりと老化してるドアを開けた



「・・・っけほ・・・!窓がないっていっても、埃っぽいなぁ・・・っ」



記憶の中の綺麗な家
だけどドアを開ければ、ガラスが砕け家具が散らばり荒れ果てたリビングが姿を見せる
悲しみはないけれど少し寂しかった

   ――― !つまみ食いはだめ!・・・もう、パパがつまみ食いするからが真似するのよ? ―――

ガラスを踏む音が時折耳に届く
ゆっくりと一歩一歩踏みしめるように進んで、何気なく倒れていた椅子を直した
手に付いた埃を払って上を見上げる

   ――― 、こうして手を伸ばすと気持ちいだろ? ―――

吹き抜けになっている天井は、あの時よりもずっと空が近く見える
成長したと実感して何だか笑みが零れた
ボロボロの階段は足を踏み出すのに勇気を要したけれど、一歩ずつ慎重に上って行けば意外と崩れないものだった
下が見下ろせる廊下にある3つのドア
慎重に足を進めて、ひとつめのドアの前で立ち止まった



「・・・っ」



身体が小さく震えた
蘇る記憶を振り払うように頭を振る
"・・・大丈夫、大丈夫″と繰返しながらゆっくり息を吐いて、それでも震えてしまう手でドアノブを掴んだ








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