ふわりふわりと舞う赤き蝶
暗闇をまるで行き場を失ったかのように舞う
右も左も、上も下も、感覚がない空間では "自分を呼ぶ声″だけが頼りだった






眩しさに耐え切れず目を覚ませば、カーテンも窓も開けっ放しだった事を思い出しは小さく唸る
ここ最近縋るように見ていた幼い頃の夢は見なかった
それは、眠る前から変わらず自分を抱きしめて眠っている支葵のお陰なのかも知れない



「・・・っん〜・・・!」



ゆっくりと起こさないように支葵の腕から抜け出して、皺のついたスカートに小さく苦笑い
ゆるゆるとベッドから下りてぐっすりと眠っている支葵を横目で見ながら窓際に近づく
まだ朝方なのか少し肌寒い



「・・・気持ちいなぁ」



んんっと身体を伸ばして新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ
黒主学園の自然に囲まれているが、今は開放された気分だからなのかいつもよりもずっと気持ちが良い
コキコキと首を鳴らして、まだ眠っている支葵を思い窓は開けたままにしてカーテンだけを閉めた
まだ覚醒しきっていない頭をスッキリさせる為には着替えを手に持ちシャワー室のドアを開けた

さあさあと細かく流れる水音の間にぱしゃんぱちゃんと弾けるような水音が、扉の向こうから微かに聞える
もぞもぞと身を捩ってゆっくりと支葵は目を覚ました



「・・・あ、れ・・・?」



腕の中にあった筈の温もりが消えている事に首を傾げる
眠たげな顔をしてダルそうに身体を起こせば聞えて来る水音
シャワーを浴びているのだと気づき欠伸を噛み締めた
吸血鬼の支葵にとって月の隠れている間は活動時間ではない
まだ眠っていたいという素直な欲望に勝てずパタリとベッドに倒れ込むが、まるでその様子を見ていたかのように支葵の携帯が鳴った
むっとしたように眉を顰め無視してしまおうかと思ったが、鳴り響いたのは彼が懐いている一条拓麻からの電話を告げるメロディー



「・・・・」



面倒臭いと思いつつも、もしかしたら急用かも知れないと支葵はベッドから抜け出し上着のポケットから携帯を取り出した
その間に切れてくれないかなぁと甘い期待はうるさく鳴り続けるそれにあっさり裏切られた
携帯を開き通話ボタンを押して "もしもし″を言う暇さえ電話の相手は与えてくれなかった



『支葵!何度も電話したんだよ!?なんなの、あのメールは!』
「・・・一条さん、声大きい」



まるで息子の帰りをずっと待っていた母親のような一条に支葵は携帯を少し耳から離した
キンキンと聞える声は寝起きには悪影響だ



『心配したんだよ?莉磨が仕事は終わってる筈だって言うのに、支葵からは"今日は帰らないから″なんてメールだけだし!』
「だって、連絡しろってが言うから」
『・・・え?、ちゃん・・・?』
「うん」
『支葵・・・今、ちゃんといるの?デイ・クラスの、あのちゃん?』
「他にがいるの?」
『・・・・い、いない・・・かな?・・・っていうか、え?・・・っぇえ!?』



電話の向こうで慌てふためく一条に、支葵は携帯片手にこっくりこっくり船を漕ぎ始めた
言われた通りに帰らないと言う事は連絡したのだから怒られる意味がわからない
ふとデイ・クラスの生徒と一緒に居る事がいけないのかと支葵の頭を過ぎるが、その理由を考え初めてすぐ "・・・めんどくさい″と思考を中断



『・・・支葵、まさかと思うけど・・・ちゃんと、付き合ってる・・・とか、じゃないよね?』
「・・・は?」
ちゃんは人間だよ?・・・僕達とは違う。それは支葵も、わかってるだろう?』
「わかってるけど、はデイ・クラスだし」
『・・・支葵の事信じてるけど、間違いは起こしちゃだめだよ?』
「うん、わかってる」



人の生き血を好む吸血鬼と、狩られる側の人間
理解していても何処か支葵は危なっかしいと一条は心配せずにはいられなかった
しかし遠く離れている今は信じるしかない
"駄目だからね!″と何度かうるさく言われ、電話を切った頃にはガチャリとドアが開きが部屋に戻ってきた



「あ、おはよう千里」



ソファーでボーッとしてる支葵は頷きで挨拶を返した
眠い目を擦って見上げれば、濡れた髪をアップにしている為に露になっているの首筋が視界に飛び込みトクン、と心臓が高鳴る
ぽた、ぽた、と水滴が首筋に落ちる
それだけでトクン、トクン、と高鳴る心臓を誤魔化すように支葵は視線を逸らした



「あたしは出掛けるけど、千里はどうする?」
「・・・まだ眠いけど、が出掛けるなら行く」
「一緒に来てもつまんないよ?」
「いいよ、別に」



逸らした筈の視線は無意識にチラチラと見てしまう
駄目だと言い聞かせても "本能″に抗う事は吸血鬼ではなくともキツイ
特に吸血鬼は相手の血を口にする事で想いを満たそうとする習性がある
支葵が芽生えつつある気持ちに気づいているか、それはわからないが無意識に伸びた腕はの細い腕を掴む
カーテンを開けようと窓に歩み寄ろうとしたの足が止まる



「千里もしかして、まだ眠いの?夕方までには帰って来るから、それまで寝ててもいいよ?」

「・・・は、オレが人間じゃないって言ったら、怖い?」

「・・・は?」
「・・・っ」



無意識に口から零れた "決して口にしてはいけない″台詞に、言われたよりも驚いたのは支葵だった
ハッとしたように口元を押さえ泳ぐ視線

   ―― オレ今、何を言った・・・?

思わず力を入れてしまった事でが小さく悲鳴を漏らす
しかしそれすら気付かないほど動揺しているのか、支葵は口元を押さえたまま俯いた



「千里・・・っ痛いってば。・・・どうしたの?人間じゃないなんて、まさか死んでますとか言うつもり?」



小さく吹き出すようなの笑い声に顔を上げる
吸血鬼は人間の世界では空想の産物だと思われているのだからバレるわけがない
ホッと安心しながらも、支葵は動揺した自分に驚いていた



「ほら千里、一緒に行くならシャワー浴びてきなよ。少しは寝惚けも取れるよ?」
「・・・うん」



どうして動揺したのか
一般吸血鬼以上の階級を持つ支葵は、人間の記憶を消すなど容易い事
もしバレたとしても記憶を消してしまえばいい
ここは学園ではないのだから、校則で決められている "学園内での吸血行為は禁止″という項にも当てはまらない
例えそれがいけない事だとしても記憶を消してしまえば学園に帰る頃には匂いさえも残っていないだろう

   ――― ・・・なんで、オレこんなに、我慢するんだろ

怖がられたとしても、それは記憶を消してしまえば済む事なのに我慢してしまう自分
正体がバレる事を恐れている自分



「・・・なに、これ・・・。なんか、痛いし・・・」



胸元をぎゅっと押さえて支葵は眉を寄せた
支葵の心を満たすその感情に、今はまだ名前を付けるには早いのかも知れない








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