身体を襲う酷い渇きと餓え
欲するのはただひとつだけれど、決して欲してはいけないもの
憎いはずなのに、この手で殺したい程恨んでいるのに、この身体はハッキリと堕ちていくのがわかる
どんなに押さえ込んでも溢れる欲望
潤う事の無い渇きは、次第に俺の理性を崩していった
ハッとした時には、戸惑い俺の名前を呼ぶ優姫が目の前にいた
突然甘く甘美な血の匂いが流れてきた事にざわつく教室
しかしそれも、玖蘭枢の登場によってすぐに波を打ったように静かになった
このまま授業を続ける事が困難だと判断し、そのまま寮へ帰るように指示を出す
生徒達が不満気な顔を隠し教室から出て行く中、一条はそっと玖蘭の元へ近づいた
「枢、支葵がいないんだよ」
「・・・いない?」
「それが、藍堂達が錐生くんに喧嘩を吹っ掛けたみたいなんだよね」
「・・・」
「架院の話だと、途中で "ちょっと、そこまで″って言ってどっか行っちゃったみたいなんだ」
携帯に電話しても出ないと、一条は困ったように目尻を下げた
普通の夜ならばいいが今夜は血の匂いが強すぎる
もし、万が一に間近であの匂いを感じ取っていたのならば理性を失いかけていてもおかしくはない
――― ・・・支葵は、あいつの子だからね
"風紀委員の2人に探してもらう?″と何も知らない一条は提案するが、当然玖蘭はそれを断った
今あの2人が動ける筈が無い
まさか放って置くわけにも行かず、玖蘭は動ける人間を思い浮かべ携帯を取り出した
しかし通話ボタンを押そうとした瞬間、いつの間にか自分達だけになった教室にふわりと漂う血の匂い
ハッとしたように2人は教室のドアへと顔を向けた
「・・・?」
玖蘭が小さく名前を呼んだ
隣に居た一条には十分聞こえ、玖蘭が "黒主優姫以外を名前を呼び捨てにしている事″に微かに目を細めた
暗闇に佇むは名前を呼ばれた事にホッとして一歩前に踏み出す
「すみません、話の邪魔しちゃって」
「いいんだよ。だけど、どうしたの?こんな時間に、それも・・・」
"血の匂いがする″とは言えず口を噤む
微かに香るその匂いは、間違いなく黒主優姫の血の匂い
あの場所にの姿は無かったと玖蘭は内心首を傾げた
「・・・それが、ついさっき外で・・・っ支葵先輩に会ったんですけど」
「支葵に?」
「はい。それで、急に苦しみ出しちゃったんで月の寮まで送ったんですけど、一応玖蘭先輩に報告した方が良いかと思って」
「・・・支葵とはどこで会ったの?」
「え?あ、っと・・・特別棟の階段下、です」
思わず "千里″と言ってしまいそうになり慌てて言い直した
まさかそこで喋っていたとは言えず嘘を吐く
何かを考え込むように腕を組んだ玖蘭に、バレないかドキドキしながらも平然を装う
「一条、寮に戻って支葵の様子を見てきてくれるかな?」
何か言いたげな一条だったが、無言で見つめられ軽く肩を揺らし頷いた
この学園で "今は″玖蘭枢に表だって逆らう事の出来る者は誰もいないのだから
「えぇっと、ちゃん?」
「あ、はい」
「支葵の事見つけてくれてありがとう。迷惑かけちゃってごめんね」
「・・・気に、しないで下さい」
自分よりもかなり下にある小さな頭をそっと撫でて、一条は一度だけ玖蘭を振り返り教室を出て行った
どうして支葵の具合が悪くなったのか
どうしてが優姫の血の匂いを纏っているのか、謎が解けたように玖蘭は微笑んだ
「・・・玖蘭先輩、何かあったんですか?」
ゆっくりと教室の階段を下りてくる玖蘭には目を細めた
"どうして?″と質問で返された答
「・・・玖蘭先輩、襟元に血がついてますよ?」
静まり返った教室に響くの声
歩みが微かに止まるが、玖蘭はそのままゆっくりと階段を下り切った
「あぁ、さっき黒主理事長の所から帰って来る時に木の枝で切ってしまったんだよ」
微笑んだまま、玖蘭はさり気無く首を触れる仕草で隠しながら爪で小さな傷を首に作った
そしてに軽く襟元を下げて見せる
「玖蘭先輩でも、そういった小さなミスをするんですね」
顔を上げて、普段ならば小さく笑うが表情の無いままそう言っては背を向けた
玖蘭の中で小さな不安が渦巻く
気づく筈が無いと、言い聞かせるが一度生まれた不安や疑問は決して簡単には消えない
思わず教室を出て行くの腕を掴んだ
「・・・玖蘭先輩?」
振り返り掴まれた腕と玖蘭を交互に見つめ首を傾げる
ハッとしたように掴んだ腕を離した玖蘭は、誤魔化すように微笑んだ
「寮まで送っていくよ」
「大丈夫ですよ?玖蘭先輩はすぐ月の寮に戻った方が、いいんじゃないですか?」
「・・・どうして?」
「何があったのかはわからないけど、何かあった事くらい空気でわかりますよ」
初めてが小さく笑みを浮かべた
「さっきの、一条先輩?も何だか慌ててたし、玖蘭先輩も落ち着いているように見えるけど、少し笑顔がぎこちないから」
「・・・にはお見通しだね」
「人の変化には、昔から敏感なんですよ。・・・あたしの事は良いんで、寮に戻ってください」
「そう・・・。ごめんね、支葵の事はありがとう。気を付けて帰るんだよ?」
「はい、おやすみなさい」
「おやすみ、」
先ほど出て行った一条と同じく、頭を軽く撫でられは小さくなる背中を見送った
スッとの顔から笑みが消える
暗闇に紛れた玖蘭の背中はもう見えない
「――――― ・・・玖蘭先輩、今日はいつにも増して悲しそうに笑うんですね」
ぽつりと零れた言葉は誰に拾われる事なく闇に消える
俯いた顔を上げ、一度教室を見渡してから、も自分の寮へと戻るために誰もいなくなった教室のドアを静かに閉めた