幼い頃の記憶がない優姫
初めてその話を聞いた時、思わず零れた言葉は "10年前って何かの節目なのかな″だった
不思議そうな顔をする優姫には笑って誤魔化したけれど、あたしにとっても "10年前″というのは良い思い出はない
今ではもう過去の事だからと心痛む事はないけれど、一生忘れる事の出来ない出来事
軽快な馬の足音を遠くに聞きながら、あたしは初めて月の寮の門をくぐった
乗馬の授業に出られないあたしに "これを枢くんに届けて欲しい″と理事長からお使いを頼まれた
暇潰しになるだろうと簡単に引き受けたけど、寮を目の前にすると後悔と言う二文字がぐるぐると頭の上を飛び交った
見上げる月の寮は、普通科の陽の寮とは違って豪華なのは気のせいなのか
このまま突っ立っていてもしょうがないと、触れるだけでお金を取られそうな豪華な重い扉を開けた
ギギィィ・・・ ――― ゴィンッ!!
「・・・え?」
ギギィィと音を立てて開いた扉が途中で不自然に止まったと同時に、冷や汗がタラリと落ちるような鈍い音
少し開いた隙間からそっと中を覗けば、案の定というか中途半端に開いた扉の向こうで頭を抱えて座りこむ人影
「うっわ・・・・っすみません、大丈夫ですか・・・?」
「・・・痛い」
「そ、そうですよね・・・」
「・・・何の用?」
額にごっつんこしたらしく、先輩は額を擦りながら立ち上がった
真っ赤になっている痛々しい額を見てもう一度謝ったあたしに、先輩は面倒臭そうに "誰に用なの?″と扉を開けてくれた
「あ、えっと理事長から玖蘭先輩に届け物なんですけど・・・」
「座ったら?」
「あ、どうもすみません・・・」
「今出掛けてるからいないよ」
「そう、なんですか・・・」
貴族の館のようなロビーのソファーに座って早くも会話終了
眠そうに目を擦る先輩
ジッとその顔を見て "あ!″と声を漏らしたあたしに先輩は眠たげな目を向ける
どこかで見た事あると思ったらあの日の夜、夜間外出してた人だと乾いた笑い
「あの、玖蘭先輩はいつ頃戻ってくるかわかります?」
「・・・知らない。興味ないし」
「そう、ですか・・・。何だか眠そうですけど、寝ないんですか?」
「お腹空いたから起きてきただけ」
「そうなんですか?あたしに構わず食事、してきても大丈夫ですよ?」
「食べるもの、何も無かったから」
マイペースな先輩、それが第一印象だった
気まずい沈黙ではないけど、付き合わしているようで居心地は良くなかった
「えーっと・・・お腹が空いてるなら、何か作りましょうか?」
「・・・その手で?」
「あ、まあ・・・別に押さえる事くらいは出来ますし、簡単な物なら作れますけど・・・」
「・・・ふーん、じゃあオムライス、作ってよ」
「オムライス・・・」
「ふわふわのやつ、それ以外は嫌だ」
「厨房ってどこですか?」
「あっち。出来たら、オレの部屋に持ってきて。プレート、ついてるから」
「え?ちょ、先輩!?」
音もなく立ち上がったと思えば、スタスタと階段を上って行く先輩を慌てて呼び止める
これまた面倒臭そうに振り向いた先輩に、少し申し訳ない気持ちになりながらも口を開く
「あの、名前わかんないんですけど・・・」
「・・・支葵千里」
それだけ言ってスタスタと部屋に戻ってしまった先輩
ぽけっと誰もいない階段を見つめてから、溜め息ひとつ吐いて厨房へと足を運んだ
ガランッとした厨房に向って一応 "失礼しまーす″と声をかけて、取り合えず材料があるのか確かめる為に冷蔵庫を開ける
ご飯はインスタントのご飯を使うとして、他の材料は全部揃ってる事を確認してからそれぞれ材料を出して行く
料理台の下から包丁とまな板を取り出して、まずはタマネギをみじん切り
ギブスで固められてると行っても手首より下は自由に動かせるから、料理をする事にそれほど支障はなかった
「月の寮でオムライスって・・・なにやってんだろ」
細かい細工が施された豪華なそれにオムライスと、余った材料で作ったスープを乗せて溜め息ひとつ
厨房を出てロビーを通って、少し痛む左腕に "頑張れあたしの左腕!″と応援を飛ばして階段を上る
確か左に行ったと記憶を呼び覚ます
「支葵千里・・・支葵千里・・・・」
名前のプレートを探して暫く行った所に "支葵千里″と書かれた扉を見つけた
両手が塞がってる状態でノックをする事は出来ない
あのマイペースな支葵先輩の事だから"寝てたら最悪・・・″とありえそうで怖い事を思いつつ声をかける
「・・・支葵先輩、オムライス持って来たんですけど」
嫌な予感がしていたけど、予想に反してすぐに部屋の扉は開いた
顔を出した支葵先輩は犬みたいにくんくんっとオムライスに鼻を寄せてから、無言のままあたしが入れるスペースを確保してくれる
届けて帰るつもりだったあたしは一瞬呆気に取られるも、早くしてよ的な視線を受けて仕方なく部屋に足を踏み入れた
「リクエスト通りにふわふわにしましたけど、即席で作ったんでケチャップで我慢して下さいね」
ベッドしかないシンプル過ぎる支葵先輩の部屋
部屋に入った瞬間、カシスのような柑橘系の香りがした
どこで食べるのかと思えば、支葵先輩は迷わずベッドに座った
突っ立ったままで居るのも邪魔になるかと思い、これでお暇しようと思ったあたしに "座んないの?″なんて声がかかる
何処にですかと聞かなくてもベッドの上なんだろう、まさか床に座れとはさすがに言わないでしょ
「美味しいですか?」
「別に。不味くないよ」
「・・・tastes good or taste bad?」
「・・・tastes good」
「やった!」
ハッキリ言わない支葵先輩に2択で聞いた所で、不味くないと言った支葵先輩の答えなんてわかってたけど嬉しくなる
ぱくぱくと食べ続ける支葵先輩をジッと見るのも悪いかと思って、何だか緊張する事もないと揺れないようにベッドに横になった
チラッと支葵先輩が視線を向けたけど何も言わなかった