莫迦だと思う
それもアイツは、ただの莫迦じゃなくて最高級の莫迦だ



「あ、また転んでる」
「転んだっていうよりあれは落ちた、だよ。・・・ほらほら、ちゃん大丈夫?」



ド派手な音を立てて階段から転げ落ちた女は、呆れ顔で駆け寄った副寮長をへらっとした顔で見上げる
俺達が畏れ敬う存在である“純血種”の癖になんであそこまで莫迦なんだと
額から血を流しながらケラケラ笑う女を見て俺は呆れを通り越して泣けてくる



「架院、駄目だよ。ちゃんと手綱は握っておかないと」
「・・・すみません」
ちゃんもだよ?時間に余裕があるんだから、急がないの。ね?」
「はーい!」



お前は一体何歳だと、右手を大きく上に伸ばして返事をする女を見てうんざりする
どうして俺が怒られるのかと女の額から流れる血に軽く唇を寄せた



「おいしいー?」



いくら莫迦だ莫迦だと言っても、その身体に流れる血は紛れもない“純血種”のそれだ
心のどこかで“もっと”と求める気持ちを誤魔化す事は出来ない
それでも俺は認めたくはないと足掻く



「・・・いっぺん死ぬか?」
「ヤダ!暁と結婚するまで死ななーい!」
「・・・あっそ」
「うん!治してくれて、ありがとー!」



へらっと笑って俺の腕に纏わり付く女から、ふわりと香る甘く痺れるような香り
貴重と言われる“純血種”がこんなに簡単に血を流しても良いのかと
そもそも高貴な者の筈なのに、どうしてここまで莫迦でガキなんだと俺は不思議で仕方ない



「暁!暁!」



まるで子犬のように俺を見上げる女
なんだよ、と口には出さず見下ろせばグイッとシャツを引っ張られ突然の事に屈む己の身体



「すいたー!」
「・・・は?」



たったそれだけ
俺はお前と違って莫迦じゃないんだ
莫迦同士通じる言葉で話されても理解できるわけがないと、口を開こうとした瞬間視界に入った英が目を見開いた



「・・っ、つ・・」



首筋に感じた痛み
状況を把握する暇もなく突き立てられる牙に、驚くよりも先に甘い痺れが首筋から全身へと繋がっていった
コクン、コクン、という喉を通す音がリアルに耳へ届く
学内での吸血行為は一切禁止と言う校則は完全に無視か、と手放しそうになる理性をなんとか繋ぎ止める



「お、い・・・やめろ・・・っ」



視界の端で副寮長が呆れたように、困ったような笑みを浮かべるのが見えた
たとえ副寮長だと言っても“純血種”には何も言えないのか
それとも言っても無駄だと思っているのか、注意さえ飛んで来ないこの状況がまずおかしいだろ



「・・・っん・・・」



牙が引き抜かれる感覚に名残惜しさを感じる自分に本気で泣けてくる
英だけでも手一杯だっていうのに、英よりも手の掛かる女
何が悲しくてこんな莫迦の面倒を見なきゃいけないんだ



「・・・校則は守れよ。後で怒られるのは俺なんだからな」



満足そうにぺろっと唇を舐めて笑う女は、この時だけは“純血種”だと思い知らされる
口元に付いた赤い血も、鈍く光る赤い瞳も、普段の莫迦とは別人
ただ、それも一瞬で消えて元の莫迦に戻る



「ごちそうさまでしたー!」
「純血種の様に血を捧げる事が出来て、自分も幸せですよ」
「キモイよ暁」
「・・・着替えてくるから、先に行ってろ」



“純血種”に対する本来の対応をすれば、女はぐにゃりと顔を歪めて素直な感想
掴まれた腕を軽く振り払って背を向ければ副寮長の笑い声



ちゃん駄目だよ?学内での吸血行為は校則違反、ね?」
「だってお腹空いたんだもん」
「でも駄目。我慢しようね?」
「ヤダ」



それで叱ってるつもりなのかと、注意するならこうなる前に止めろと思う俺は間違ってない
そんな優しく笑いながら言った所でその莫迦がわかる筈がない



「だって暁の事好きだもん。なんでダメなの?暁は人間じゃないし、ちょっと飲んだだけじゃん」
ちゃんの素直で真っ直ぐな所は僕も好きだけど、あんまり校則を破ってると架院と一緒にいられなくなっちゃうよ?」
「え、ヤダ!やっと黒主学園に来れたのに!」



しん、と静まり返る月の寮のロビー
誰もがあの、咽返るような血の匂いに支配された夜を思い出したんだろう
莫迦は莫迦なりに考える頭を持ってるらしい
だけど所詮は単純莫迦であって、それなりの考えしか浮かばないもの



「う、うんそうだね・・・。だから、我慢しよう?」
「・・・ちょっとも、ダメ?」
「うーん・・・そうだね、ここにいる時は我慢しなきゃ」
「・・・わかった。がまん、する」



階段を中ほどまで上った時、振り向かなくてもわかる程泣きそうな声がした
これは泣くのを必死に我慢しているんだろう
あぁ、俺はどこまでお人好しなんだろうと溜め息ひとつして振り返る



「・・・



俯いた肩がぴくん、と小さく跳ねる
いつもなら俺が名前を呼べば犬の如く飛んでくるのに、副寮長に言われた“一緒に居られない”の言葉が相当堪えたのか
ぎゅっと小さな手を握り締めたまま動かない



「ったく、何ガラにもなく落ち込んでるんだよ」



どう足掻いたって莫迦は莫迦
我慢、だなんてしなくていいんだよ



「先に行くのか、俺と一緒に行くのか。どっちだ?」



階段を下りて目の前まで行って問う
小さく震える肩が、これは完全に泣く一歩手前だと教えてくれる
すぐ後ろに居る副寮長が“言い過ぎちゃった、かな”と苦笑いを浮かべた




「・・・暁と、いっしょに、いたい・・・」
「じゃあ答えはひとつだろ?」
「・・・っ一緒に行く!」



今にも零れそうな涙を溜めて顔を上げれば、その反動でぽろぽろと涙が頬を伝う
階段から転げ落ちようが、テラスから滑り落ちて花壇に頭を突っ込もうが、へらっと笑って泣かな癖に
俺の事に関してはグッと我慢しても最後には泣く



「副寮長、先に行ってて下さい。着替えたら、行きますから」
「うん、わかった。先に行ってる枢には僕から言っておくから」
「お願いします。行くぞ、
「う、ん・・・っ」



何だかんだ言ってもこの莫迦を手放せない
初めは“何を急に言ってるんだ”と両親に呆れもした
だけど、普段は莫迦みたいにへらへら笑う癖に俺の事でだけ涙を流すコイツを可愛いと思わなくもない
血を少しでも口にすればわかる
コイツが、俺をどれだけ好きでいるのか



「・・・暁」
「なんだ?」
「・・・ごめん、ね」
「・・・もう良いから、泣くなよ」



まあ、どんなに足掻いた所で俺がコイツの“婚約者”だって事は変わらない
どんなに俺がコイツを拒絶したとしても、純血種のコイツが選んだ事に異議を唱えられる者はいない
結局俺は、何だかんだと言いつつコイツと長い時を生きていくんだろうと思う



「っふぎゃ!!」
「・・・・・・」



何もない廊下で転ぶような莫迦だけど、この莫迦も一生直らないならそれもそれで良いのかも知れないと
悠久の時を生きるのなら、退屈しないで済むだろう

ただ、ほんの少しで良いから“普通”に近づいてくれたら・・・と願う

(愛だなんて大袈裟な)

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夢書きへの100のお題:02.愛だなんて大袈裟な